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学習院女子時代の李方子妃
方子女王は、15歳に成長し、学習院の女子部に通い、後の昭和天皇の妃候補とも噂されていました。


しかし、1916年(大正5年)8月3日、方子女王が見た新聞で、報じられた婚約相手は、旧朝鮮王朝、大韓帝国最後の皇太子・英親王・李垠(りぎん・イウン・이은)殿下だったのです。


この新聞で婚約を知ったということは方子妃の自伝にも書いてあります。しかし「梨本宮伊都子妃の日記」や宮内庁の資料などを見ると、そのいきさつについてはいろいろあるようです。日本と朝鮮の融和のための政略結婚という側面だけではないようです。しかし方子女王自身にとってはまさに青天の霹靂だったのかもしれません。

余談ですが、最近はテレビなどではコリアンに関しては原音読みが一般的です(朴槿恵=パク・クネ、金正恩=キムジョンウン)が、歴史上の人物に関しては様々です。NHKではイウンと呼んでいましたがオペラではりぎんになっており、このブログでも李垠(りぎん)殿下にします。

11月1日・2日 オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」 http://lastqueen.net
予告映像です https://youtu.be/6WP8-sRk7ek
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| http://lastqueen.net/cp-bin/blogn/index.php?e=14 |
| | 10:22 PM | comments (0) | trackback (0) |
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