■CALENDAR■
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31    
<<前月 2016年08月 次月>>
■LOGIN■
現在のモード: ゲストモード
USER ID:
USER PW:
■ADMIN■
ADMIN ID:
ADMIN PW:
■NEW ENTRIES■
■RECENT COMMENTS■
■ARCHIVES■
■PROFILE■
■POWERED BY■
BLOGN(ぶろぐん)
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■OTHER■

韓国へ渡りたい しかし…
日本と韓国に国交がない中で、どうすれば夫の帰国を叶えられるのか。方子は李垠殿下と外務省を訪れます。応対した町田貢さんによると李垠殿下も病気で倒れ、方子妃はとても苦労されていたということです。田月仙(チョン・ウォルソン)さんは町田さんから当時のことをききました。


| http://lastqueen.net/cp-bin/blogn/index.php?e=31 |
| | 08:34 PM | comments (0) | trackback (0) |
苦しみの中で立ち上がる方子妃
皇族から平民となった苦難の時期。この時期の方子妃の資料はいままであまり確認されていませんでした。しかしオペラ制作のために、当時の関係者を訪ね歩き、当時書かれた方子妃の手紙や写真などを発見しました。これはあまりにもプライベートなため発表はできませんが、そこには方子妃の新たな真実が見えました。



オペラでは新しい李方子像をつくりました。李方子妃は皇族出身なので、自らの感情を出すことはあまりないのですが、創作物であるオペラでは、表面は物静かに見える王妃の、熱い魂の叫びを、感情の表現として伝えることができます。これまでは李方子妃は「悲劇の女王」としての人生がクローズアップされてきましたが、この作品は「運命に向き合う強い女性」としての新しい李方子像を描きました。



| http://lastqueen.net/cp-bin/blogn/index.php?e=30 |
| | 08:33 PM | comments (0) | trackback (0) |
日本と韓国の狭間で
さらに、日本による朝鮮半島の統治が終わったことで外国人と見なされることになった方子妃はこういいます。「これではっきり日本からほうり出された……」。
夫の李垠殿下もまた、深い戸惑いの中にありました。「私はもう純粋な朝鮮人とはいえなくなっている。それかといって、日本人にもなりきれない」と。


一方、朝鮮半島では大韓民国が建国されます。李垠殿下は帰国を望みましたが、初代大統領イ・スンマンは、王政の復活を恐れて、難色を示します。


| http://lastqueen.net/cp-bin/blogn/index.php?e=29 |
| | 08:32 PM | comments (0) | trackback (0) |
終戦ですべてが一転する
そんな方子妃と李垠殿下の人生を大きく変えたのが、1945年、日本の敗戦でした。



二人は、皇族がその身分を離れる皇籍離脱にともない、平民となります。さらに、8割近い財産税が追い打ちをかけました。



| http://lastqueen.net/cp-bin/blogn/index.php?e=28 |
| | 08:31 PM | comments (0) | trackback (0) |
日本陸軍軍人として
太平洋戦争が勃発。李垠殿下は模範的な大日本帝国の軍人そのものでした。


当時、陸軍の技術将校だった今村和男さん(今村均・陸軍大将の長男)は「李王殿下は軍人としてもすばらしいお方でいらっしゃいました。朝鮮の王様というより日本皇族の中の一員でいらっしゃって、しかも非常に部下思いで、日本人以上の日本人だと、私どもは考えておりました」といいます。


方子妃は、「朝鮮王朝の皇太子」であり、「日本の皇族(王公族)」であり、「日本の陸軍軍人」という、李垠殿下の複雑な立場を理解し、殿下を理解し支えます。


| http://lastqueen.net/cp-bin/blogn/index.php?e=27 |
| | 08:29 PM | comments (0) | trackback (0) |
大正〜昭和 激動の時代
その後の方子妃の人生も激動の時代が訪れます。


李垠殿下は関東大震災では朝鮮人がデマで殺されたことを聞き「ご憂悶」されたといいます


一方で、皇族の義務にしたがって軍人の道を歩みます。


11月1日・2日 オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」 http://lastqueen.net 予告映像https://youtu.be/6WP8-sRk7ek EMAIL

| http://lastqueen.net/cp-bin/blogn/index.php?e=26 |
| | 06:39 PM | comments (0) | trackback (0) |
晋の突然の死
しかし、帰国の直前、悲劇が起こります。晋が食中毒にかかり、3日後に亡くなったのです。
毒殺説も残っています。


方子妃の悲しみを想像すると……。
晋よ 私をゆるして あなたを守れなかった母を


11月1日・2日 オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」 http://lastqueen.net
予告映像https://youtu.be/6WP8-sRk7ek
EMAIL

| http://lastqueen.net/cp-bin/blogn/index.php?e=25 |
| | 06:37 PM | comments (0) | trackback (0) |
宮中大礼服 翟衣・チョグィ・적의
結婚式に臨む方子。朝鮮王朝の宮中大礼服である「翟衣・チョグィ・적의」に身を包み、大髪を結いました。
王妃だけが身に着けることのできる紫の翟衣(チョグィ)と王冠。方子に朝鮮王朝五百年の歴史の重みを伝えることになりました。


オペラではこの翟衣(チョグィ)を着た田月仙(チョン・ウォルソン)さんの場面が見られます。

翟衣(チョグィ)は1990年に日本政府が韓国に返還した幻の衣装です。実物は韓国国立古宮博物館に所蔵されており非公開です。オペラではこの翟衣(チョグィ)を学校法人文化学園の協力のもと再現しました。写真は大沼淳理事長、小杉早苗学園長、辛島敦子教授、太田繁先生、服飾博物館の吉村紅花さんたちです。


11月1日・2日 オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」 http://lastqueen.net
予告映像https://youtu.be/6WP8-sRk7ek
EMAIL

| http://lastqueen.net/cp-bin/blogn/index.php?e=24 |
| | 06:35 PM | comments (0) | trackback (0) |
初めて訪れる朝鮮半島
翌年、方子は初めて朝鮮半島を訪れます。生後8か月の晋を、李王家の一族にお披露目し、朝鮮式の結婚式を挙げるためでした。海峡を越えて渡る生まれて初めての朝鮮半島、方子妃はどんな気持ちだったのでしょう。釜山から下関へ。田月仙(チョン・ウォルソン)さんも船でたどりました。


そして船は釜山に到着します。李垠殿下の後ろの方子妃、そして長男・晋王子を抱いたおつきの人がいます。


11月1日・2日 オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」 http://lastqueen.net
予告映像https://youtu.be/6WP8-sRk7ek
EMAIL


| http://lastqueen.net/cp-bin/blogn/index.php?e=23 |
| | 06:35 PM | comments (0) | trackback (0) |
朝鮮王朝の跡継ぎ・晋の誕生
一年後、二人に愛の結晶が生まれます。長男の晋(しん)です。



11月1日・2日 オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」 http://lastqueen.net
予告映像https://youtu.be/6WP8-sRk7ek
EMAIL

| http://lastqueen.net/cp-bin/blogn/index.php?e=22 |
| | 06:33 PM | comments (0) | trackback (0) |
PAGE TOP ↑