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世紀の政略結婚
二人の結婚式は、1920年4月、東京の李垠殿下の屋敷で行われました。方子は後にこう述べています。「日鮮両国が固く結ばれあうためのくさびになる重いお役目」を感じたと。



11月1日・2日 オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」 http://lastqueen.net
予告映像https://youtu.be/6WP8-sRk7ek
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| | 06:33 PM | comments (0) | trackback (0) |
李方子妃と李垠殿下のデート
その後、日本へ戻った李垠殿下と方子妃は、次第に心通わせ真実の愛を育んでいきます。結婚の延期は、二人に、互いを理解する時間を与えました。
「3月10日 今日は待ちに待った嬉しい日。殿下ならせられる。久しぶりにお姿懐かしく、今日はお話しすることができてうれしかった」


二人の距離は、次第に近づきます。
「本当に私は幸福なりき。隣国とは申せ、私には毛頭へだての心は起しがたく、ひとたびお会いしてからは、御なつかしさの心のみ出て、時の過ぎるのも忘れる身となった」

実際の李方子妃もインタビューで「今、現代で言うとデートじゃございませんけど……」と回想しています。

オペラではこの日記を読みながらの田月仙(チョン・ウォルソン)さんのレシタティーボの場面があります。いままで明らかになっていなかった方子妃の心情が歌と語りで綴られていきます。



11月1日・2日 オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」 http://lastqueen.net
予告映像https://youtu.be/6WP8-sRk7ek
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結婚直前の高宗が急死
ところが、結婚式を4日後に控えたときのことでした。李垠殿下の父・高宗が急死。李垠殿下は急遽、朝鮮に帰ります。高宗の死をめぐっては日本による暗殺説も流れました。それが引き金となって、日本の朝鮮統治に対する不満が爆発。激しいデモが、朝鮮半島各地に拡大していきました。これが三一運動です。方子妃と李垠殿下の結婚は1年間延期になります。



日本にいる方子は殿下を案ずる気持ちを日記に残しています。

「3月7日 殿下は、どんなにしていらっしゃるかしら。
朝民の暴動はどんな風なのかしら。何だか心配である・・・」


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結婚を目前にした心境
方子女王と李垠殿下の結婚は1919年(大正八年)に予定されていました。当時の方子妃の心境、揺れ動く心がうかがえる大正8年の直筆日記があります。


田月仙(チョン・ウォルソン)さんはその日記を読みました。そしてオペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」の台本に生かしました。


日記はこう始まります。「1月2日:希望多く任務重き大正8年は終いに来りぬ。処女としての最後の新年なり」とはじまります。


11月1日・2日 オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」 http://lastqueen.net
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8月15日
8月15日は、日本では終戦ですが、韓国では解放です。田月仙(チョン・ウォルソン)さんは毎年この日はいろいろなイベントで歌っています。


写真は、田月仙(チョン・ウォルソン)さんのFACEBOOKから、

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納采の儀
婚約が決まった方子妃は1918年12月、納采の儀(結納)を行います。


1919年1月10日「女王として最後」として十二単をまとって天皇陛下・皇后陛下を訪問しています。



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相手の李垠殿下とは…
相手の李垠殿下とはどんな人だったのでしょうか? ここからは田月仙(チョン・ウォルソン)さんの取材の旅に同行します。ここはソウルにある昌徳宮(チャンドックン)です。14世紀から500年以上に渡って朝鮮半島を支配してきた朝鮮王朝の王宮です。



李垠は、1897年、第26代の王・高宗(コジョン고종)を父に1897年に李氏朝鮮(朝鮮国)が大韓帝国と改称した年に生まれ、純宗の即位のときに大韓帝国皇太子(懿愍皇太子)となります。10歳までソウルの王宮で過ごします。



しかし日露戦争に勝利した日本は、1905年、韓国の外交権を握り、保護国としました。まもなく李垠は初代韓国統監となった伊藤博文に連れられ、日本に留学します。


その3年後、1910年、日本は韓国併合に踏み切ります。朝鮮半島は日本の一部となり、500年の歴史をもつ朝鮮王朝は幕を閉じました。その一方で、日本は、民族感情を考慮して、朝鮮王朝の李王家の一族に、日本の皇族に準ずる「王公族」の地位を与えました。李垠は日本の皇族男子の義務に従い、大日本帝国の軍人になります。



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学習院女子時代の李方子妃
方子女王は、15歳に成長し、学習院の女子部に通い、後の昭和天皇の妃候補とも噂されていました。


しかし、1916年(大正5年)8月3日、方子女王が見た新聞で、報じられた婚約相手は、旧朝鮮王朝、大韓帝国最後の皇太子・英親王・李垠(りぎん・イウン・이은)殿下だったのです。


この新聞で婚約を知ったということは方子妃の自伝にも書いてあります。しかし「梨本宮伊都子妃の日記」や宮内庁の資料などを見ると、そのいきさつについてはいろいろあるようです。日本と朝鮮の融和のための政略結婚という側面だけではないようです。しかし方子女王自身にとってはまさに青天の霹靂だったのかもしれません。

余談ですが、最近はテレビなどではコリアンに関しては原音読みが一般的です(朴槿恵=パク・クネ、金正恩=キムジョンウン)が、歴史上の人物に関しては様々です。NHKではイウンと呼んでいましたがオペラではりぎんになっており、このブログでも李垠(りぎん)殿下にします。

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大正時代の音楽会
こちらも方子妃が持っていた大正3年(1914年)の音楽会のプログラムらしきものです。曲目がまったくわからないので田月仙(チョンウォルソン)さん。に聞いたら教えてくれました。1曲目の「行進曲 華盛頓通信 ソウサ」とはジョン・フィリップ・スーザのJohn Philip Sousaの「ワシントン・ポスト(The Washington Post)」ではないかということです。スーザは「星条旗よ永遠なれ」を作った作曲家で、当然ながらアメリカの愛国的な曲だと言えます。この時代はまだアメリカは敵性国ではないです。「音楽に国境はない、というか、いい時代だったんだしょうか。



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方子妃の食事
当時の皇族・華族の世界はどんなものだったのでしょう? これは方子妃が持っていた大正2年(1913年)の食事のメニューです。午餐とあるから昼食ですね。メニューからみて洋食(フレンチ)のようですね。松露とはトリュフのことでしょうか。メインは七面鳥(ターキー)。乾酪とはチーズのことですね。



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