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方子妃が作った学校
方子妃は学校を育てることに全精力を傾けていきます。


方子がつくった障害児のための学校の一つ、ミョンフィウォン(明暉園)はいまは韓国でも屈指の障害児施設になっています。


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| | 08:40 PM | comments (0) | trackback (0) |
殿下との永遠の別れ 「私は生きて行く」
方子妃が学校経営に奮闘していたさなか、李垠殿下は、意識を回復しないまま、亡くなります。72年の生涯でした。朝鮮王朝最後の皇太子を、韓国は国葬で見送りました。


一人、韓国に残った方子妃。李垠殿下との約束を守ることを決心します。


亡くなった殿下への思いを歌う「私は生きて行く」。オペラを見る人たちが涙する場面です。


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| | 08:38 PM | comments (0) | trackback (0) |
李垠殿下との約束
しかし、方子妃には、李垠殿下と交わした約束がありました。「李垠殿下が日本におられたとき「私は韓国に帰ったら 貧しい不幸な子どもたちのために生涯を捧げる もし私ができなかったら あなたがしてくれ」と言って方子妃と約束したのです



1968年 方子妃は、障害児のための学校ミョンフィウォン(明暉園)を作ります。学校の名は李垠殿下の雅号からとられています。社会のなかで孤立しがちな障害児に、集団生活を体験させ、自立して生きられるよう、専門技術を教えています。家庭に障害児がいると 家族が恥ずかしがって隠していた そんな時代でした。


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| | 08:37 PM | comments (0) | trackback (0) |
反日の嵐を乗り越えて
二人が帰国した直後、日本と韓国は国交回復します。しかし当時、韓国では反日の嵐が吹き荒れていました。日韓国交正常化の交渉が、戦後補償などをめぐって紛糾。「たった5億ドルで国を売るのか」など、交渉に反対するデモが激化したのです。
方子妃も、韓国に移って早々、試練が訪れます。学園紛争に巻き込まれたのです。「チョッパリ(日本人の蔑称)出て行け!」と学生たちがデモをして理事の座を追放されます。



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| | 08:36 PM | comments (0) | trackback (0) |
日本よ さようなら
方子妃に、生まれ育った日本に別れを告げる日がきました。このとき方子62歳。韓国の一市民として生きる決意を胸に旅立ちました。


朝鮮王朝の皇太子・李垠殿下を、ソウル市民は温かく迎えます。しかし李垠殿下はそれを知ることなく、病院に運ばれました。


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| | 08:35 PM | comments (0) | trackback (0) |
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