各種リンク先(LINKS)

田月仙(チョン・ウォルソン)

http://www.wolson.com
FACEBOOK(CHONWOLSON) https://www.facebook.com/chonwolson
TWITTER(CHONWOLSON) https://twitter.com/ChonWolson

予告映像

 

 

 

 

日本経済新聞 2021年12月16日

日韓の和を願うオペラ、田月仙さん 朝鮮皇太子妃描く
チョン・ウォルソン。東京生まれ。世界各国でオペラやコンサートに出演。著書に「海峡のアリア」「禁じられた歌」など。2015年度の外務大臣表彰受賞。12月24日にイタリアオペラ「パリアッチ(道化師)」が都内で公演される。
ソプラノ歌手として世界各国の舞台に立ちながら、かつては在日コリアン2世という生い立ちに、日本でも韓国でも異邦人と感じていた。音大受験も門前払いされた経験などから「肉体が楽器」であり、決して奪われないオペラ歌手をめざした。

日本、韓国、北朝鮮首脳の前で独唱
契機となったのは、2002年に当時の小泉純一郎首相による金大中大統領の歓迎公演で両国の歌を披露したとき。日本で生まれ育ち、韓国にルーツをもつ自分だからこそ「日本の歌も韓国の歌も、自分の歌として歌える」と強く感じた。

1985年の平壌公演と併せて、日本、韓国、北朝鮮の首脳の前で独唱した唯一の歌手としても知られる。

そんな境遇が生んだのが、創作オペラ「ザ・ラストクイーン」だ。朝鮮王朝最後の皇太子に嫁いだ皇族出身の李(旧名・梨本宮)方子(まさこ)さんをモデルに波乱の生涯を演じる。

初演は日韓国交正常化50年の2015年。文化庁芸術祭参加公演として翌16年に再演を果たす。19年の大阪公演を経て、今年10月28日に都内でアンコール公演が開かれた。

物語は、10代半ばで韓国併合に伴う自らの政略結婚を新聞記事で知り、ぼうぜんとする場面から始まる。生後8カ月の長男の急死を嘆き、終戦後は朝鮮王族の身分と資産を失い絶望する夫、李垠(イ・ウン)さんを守る決意のアリアが紡がれる。

 

2人の関係者を訪ね、台本に反映
「両国の狭間に生きた人間の生きざまとその思いをできる限り表現できるように心がけた」と2人に関わりのあった人たちを訪ね歩いて台本を練りあげた。「オペラを見終わった後に、誰もが2つの国の関係に新たな思いを寄せられるように全身全霊で演じている」

方子さんは李垠さんと愛を育み、夫の死後もひとり韓国に残る。障害児の福祉に力をそそぎ、「韓国のオモニ(母)」と慕われるまでになった。

資金集めのための書画で数多く残した文字が「和」。「私の大切な ふたつの祖国 私が生まれ育った国 私に愛をさずけた国」に「爽やかな虹が架かる日を」と劇的に歌いあげると、会場には涙ぐむ在日コリアンの女性の姿も。リクエストに応えて来年3月の再演も決まった。

「両国の平和のために生涯をささげた方子妃の人生を広く伝え、混迷する日韓関係に風穴を開けたい」と願う。

(編集委員 峯岸博)

 

 

二つの国に生きた生涯、オペラに託した 「韓国の母」思い再び舞台へ 朝日新聞 2021年

 

オペラ歌手の田月仙(チョンウォルソン)さん=2021年9月26日、東京都新宿区、大部俊哉撮影

 

 オペラ歌手の田月仙(チョンウォルソン)さんは在日コリアン2世。両親は現在の韓国・慶尚南道生まれで、父は15歳の時に学徒勤労動員で日本へ渡った。1960年、帰国事業に夢を託して10代で北朝鮮に渡った4人の兄は「政治犯」として収容所に入れられ、次兄は収監中に亡くなった。田さんは音大を目指したが、朝鮮学校卒で受験資格が得られず、願書が次々とはねられるという経験もした。

 音楽を志したのには、父の存在が大きい。自己流で作曲をしていた父の影響で、田さんは4歳のときにピアノと歌を習い始めた。民族学校では民族舞踊に打ち込んだ。こうして芸術家としての礎を固めていった。卒業後、唯一門戸を開いた桐朋学園短大に入学し、声楽を専攻。プロの道に進んだ。

 1994年に初めて韓国で公演した際には、過去に朝鮮籍から韓国籍に変えていたことから「転向歌手」と報道された。「在日という存在が理解されていなかった」と振り返る。

 日本の皇族出身で朝鮮王朝最後の皇太子妃となった李方子(りまさこ)の生涯を描いた作品の構想を始めたのは、芸歴20年を過ぎたころだった。方子は日韓併合後、李垠(イウン)皇太子と政略結婚。終戦で身分も国籍も失ったが、その後、夫妻で移り住んだ韓国で障害者福祉に尽力し、「韓国の母」と慕われた人物だ。二つの国のはざまで時代に翻弄(ほんろう)されたその足跡に、自分や両親の姿が重なるように思えた。

 田さんは「皇族として生まれ、朝鮮王朝に嫁いだ方子は、その立場から胸の内を自由に語ることができなかった。でもその生涯をオペラにして伝えられれば、方子の思いをおのおのが想像し、何かを感じてくれるのではないか」と考えた。ただ、そのためには史実を忠実に再現する必要があった。複雑な歴史を扱う上で「日韓どちらにも寄らない」ことにもこだわった。

 構想を形にできるめどがたつまでには、約10年かかった。そこから、日本と韓国を行き来しながら方子と生前に関わりのあった人たちを訪ね歩き、2年近くかけて約100人に取材。詩人や作曲家らと6人のチームを立ち上げ、台本、詞、曲へと落とし込んでいった。オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」が完成したのは、くしくも日韓国交正常化50年の2015年だった。自ら主演として方子を演じ、19年までに東京と大阪で三つの公演を果たした。

 そんな矢先、コロナ禍が世界を襲った。緊急事態宣言などの感染対策が広がるなか、約1年間、本格的な公演はできていない。38年前にオペラの世界に飛び込んでから欧州や韓国など世界各国で舞台に立ち続けてきた田さん。85年には北朝鮮に招かれ、故金日成(キムイルソン)主席の前で革命歌劇を歌った。サッカーW杯日韓大会のあった02年には、日韓首脳の前で独唱した。舞台上からマイクを使わずに声を響かせ、劇場と一体になって表現する技術を磨き続けてきた田さんにとって、劇場で生の声を観客に届けられないことは手足をもがれるような酷なことだった。

 隣国との行き来が自由にできなくなり、あらためて方子の生涯を思った。田さんにとって韓国は両親のふるさとであり、生まれ育った日本と同じく祖国でもある。日韓の関係は暗いトンネルの中から抜け出せないでいる。「隣国との交流をいま一度、両国の人たちと一緒に考えたい。互いを思う心の灯が絶えないように」。こんな今こそ、あのオペラを。そう考えた。

 今年の公演は、オンラインではなく、舞台に立って生の声を届けることを選んだ。方子の15歳から87歳までの激動の生涯を約90分間、一幕で演じきる。(大部俊哉)

 

 

 

 

(批評)日韓国交正常化50周年記念特別企画《ザ・ラストクイーン》 音楽の友
 大正9年(1920)、韓国併合に伴う政略結婚で、朝鮮王朝最後の皇太子李垠に嫁いだ方子の生涯を描いた創作オペラ、8景、約90分。休憩はない。企画、主演は在日コリアン2世のソプラノ田月仙(チョン・ウォルソン)で、10年の構想、取材をかけた彼女の熱意によって生まれた作品だ。台本は木下宣子、作曲は孫東勲(指揮)とRyuGetsu。舞台は、椅子、机などの簡素なものだが、背景のスクリーンに日韓の歴史的映像、また象徴的なバレエが物語を暗示する。下手にピアノ、ヴァイオリン、フルート、チェロ、打楽器、上手にソプラノ、アルト、テノール、バリトン各1。主演の田月仙は衣装を替えながら、15歳から87歳までを演じたが、特に朝鮮王朝の大礼服を纏った姿は、歌唱と共に美しく見事だった。お相手の皇太子を歌手でなく、化身として相沢康平がバレエで演じたのは賢明。歴史に埋もれた日韓の愛を知る意味でも再演を望みたい。 9月27日・新国立劇場<中> 三善清達 (音楽の友より)

(批評)MUSIC PEN CLUB  Classic CONCERT Review【オペラ】

「日韓国交正常化50周年特別企画 オペラ『ザ・ラストクイーン』—朝鮮王朝最後の皇太子妃」(2015年9月27日、新国立劇場・中劇場)


 このオペラの内容を簡単に記せば、朝鮮王朝最後の皇太子妃となった李方子妃(リ・マサコ)の生涯を描き、彼女は政略結婚で日本の皇族から韓国に渡る。作曲は東京音大卒の若手、孫東勲(ソン・ドンフン)とRyuGetsu。編成はソプラノ、アルト、テノール、バリトンのコーラスだが4名。楽器群はピアノ、ヴァイオリン、チェロ、フルート、打楽器の5名である。緩急法や音色的な配慮も音楽の中に美しく盛り込んでいて、朝鮮半島のリズムや日本のメロディーも時折聴こえ、この作曲家は作品全体のイメージをしっかりとつかんでいるように感じられた。


 それにしても今回のオペラの初演は、田月仙(チョン・ウォルソン)の情熱と意欲がなければ実現しなかったであろう。彼女が企画・台本・主演(李方子役)・音楽監督なのである。田月仙は2015年外務大臣表彰を受賞し、デビュー当時から日本に韓国の歌を紹介するなど、日韓文化交流の中心人物の一人として活躍するソプラノ歌手。登場人物は李方子妃と、バレエダンサー(李殿下の化身役)の2名である。




 田月仙の芝居が良く、筆者には詳しくはないが、所作の決まりなど風格のあるものであった。バレエダンサー(相沢康平)の動きが伴うと、よりオペラの内容が理解でき、見ていて美しい舞台になっていた。田月仙の表現には、暗示や思わせぶりがなく、ごく自然に歌い上げ、豊かな情感の陰影、情熱の高揚を蔵しており、特に第8景の〈二つの祖国〉「私の大切な 二つの祖国 私が生まれ育った国 私に愛を授けた国」では、彼女は李方子妃との考え方と同じで、はっきりとした主張で歌い通したのではないだろうか。
 日本と韓国はかつて「最も近くて遠い国」と言われてきた。今だに両国の関係はぎくしゃくとしているのが現状である。朝鮮の土となった日本人、李方子妃のことはオペラで初めて知った。私が知っている人は、浅川巧である。彼は朝鮮の民芸の中に優れた民族文化の美を見つけ出したことで有名である。柳宗悦も失われていく朝鮮美術工芸品を所有した。真の文化交流が日本と韓国の関係を豊かにするのである。今回のオペラ公演はその意味でも非常に有意義な企画であった。両国の歴史文化を知ることも日韓の交流には大切であり、それなくしては真の友好はないのである。(藤村貴彦)

 

朝鮮王朝最後の皇太子妃 オペラ上演へ( NHK おはよう日本 9月25日  )

NHK 朝鮮王朝最後の皇太子妃 オペラ上演へ
日韓国交正常化50年となるのに合わせて、戦前日本の皇族から朝鮮王朝最後の皇太子に嫁いだ故・李方子さんの生涯を描いたオペラが今月、東京で上演されることになり、最終盤の稽古が行われています。
「ザ・ラストクイーン」と題されたこのオペラは、在日韓国人2世のソプラノ歌手、田月仙(チョン・ウォルソン)さんが日韓国交正常化50年に合わせて企画したもので、24日、最終盤の稽古が公開されました。
李方子さんは日本による韓国併合時代に、日本の皇族から政略結婚で朝鮮王朝最後の皇太子、故イ・ウン殿下に嫁いだ女性で、70年前の終戦で皇太子妃としての身分を失いましたが、その後、韓国で障害者の福祉事業に取り組み、その功績は高く評価されています。
24日の稽古では、李方子さん役を演じる月仙さんが「私の大切なふたつの祖国 私が生まれ育った国 私に愛をさずけた国」と、歴史に翻弄されながらも日本と韓国を愛した李方子さんを思いながら歌い上げました。
企画と主演を務める田月仙さんは、「最近の日韓関係はいいとは言えないと思いますが、両国の平和を願った李方子さんの人生を見直すことは私たちに大きなヒントになると思います」と話しています。
オペラ「ザ・ラストクイーン」は、今月27日、東京・渋谷区の新国立劇場で上演されます。

 

日韓つなぐ創作オペラ…
在日2世の歌手、田月仙
皇室から朝鮮王朝、
方子妃描く
(9月2日 読売新聞


 在日韓国人2世のソプラノ歌手、田月仙(チョンウォルソン)が、日韓国交正常化50周年を記念し、創作オペラ「ザ・ラストクイーン」を上演する。

 日本の皇族から朝鮮王朝に嫁いだ李方子りまさこ妃(1901〜89年)の激動の人生を演じる。関係者を自ら取材して物語にした力作だ。(岩城択)

 梨本宮家の方子は、朝鮮王朝の皇太子・李垠りぎんと政略結婚。真実の愛を育んだ夫妻だったが、敗戦で無国籍となった。方子妃は夫の死後、韓国で障害児の福祉に力を入れ、「韓国の母(オモニ)」と慕われるまでになった。日韓関係が険悪な今、田は「両国の和を願った方子妃をオペラを通じて知ってほしい」と力を込める。


  物語は、方子が新聞で自分の婚約を知り、ショックを受ける場面で始まる。ハイライトはまず、結婚と幼い長男の急逝。「幸せから悲しみのどん底に落ちていった苦悩」を歌う。舞台で身にまとうのは、方子妃が婚礼で着用した朝鮮王朝の衣装を今回、複製したものだ。

 さらに、最も表現に心を砕くのが、敗戦で何もかもを失い、その後、夫とも死別する場面。「屈辱に耐えて」や「守るのも私」のアリアを劇的に歌い上げる。

 歌劇中の楽曲は、西洋のメロディーを土台にしつつ、日韓の独特の旋律やリズムを盛り込んだ作品もある。歌詞は全て日本語だ。

 ほぼ独り舞台の歌劇だが、コーラスやバレエダンサーなどが出演し、映像なども用いる。作曲や演出、演奏なども含め、韓国人、在日韓国人、日本人の混成チーム。

 約10年前から構想した。だが、資金や創作面で壁を感じ、一時は挫折した。しかし、「日韓という二つの古里の和合を願う気持ち」に背中を押されたという。また、歴史の犠牲者として感情を押し殺すしかなかった夫妻の知られざる胸の内を、「心の底から感情を出すオペラで代弁することで、聴き手に強く訴えられるのではないか」と考えた。

 また、田は「方子妃の心の軌跡に迫ろう」と、かつての秘書ら関係者をソウルなどに訪ね歩いた。行く先々で、方子妃が韓国の恵まれない子供に手を差し伸べたことが知られており、「尊敬している。日本の人たちにもっと知ってほしい」と励まされたという。

 

悲運の朝鮮皇太子妃、描く
在日2世歌手が創作オペラ
(9月4日 朝日新聞

 日韓国交正常化50年に合わせ、在日コリアン2世のオペラ歌手田月仙(チョンウォルソン)さんが、朝鮮王朝最後の皇太子妃李方子(りまさこ)(1901〜89)を演じる創作オペラ「ザ・ラストクイーン」をつくり、27日に新国立劇場(東京都渋谷区)で上演する。日本の皇族に生まれて朝鮮の李垠(イウン)皇太子と結婚し、韓国で亡くなった波乱の生涯を描く。
 ■皇族の生まれ
 方子は旧皇族・梨本宮守正王の長女。皇太子(昭和天皇)の妃(きさき)候補といわれたが、日本による韓国併合後、朝鮮王朝最後の李垠皇太子と政略結婚させられた。夫とともに東京で暮らし、日本の皇族に準じて扱われたが、終戦で王族の身分も国籍も失い、生活苦に陥った。東京・紀尾井町の邸宅は売却され、後の赤坂プリンスホテル旧館となる。63年には夫妻で韓国に移り住み、晩年は韓国で障害者福祉事業に尽くした。
 オペラは、方子が新聞記事で自分の政略結婚を知る場面から始まる。義父の国王高宗(コジョン)と生後8カ月の長男晋(チン)を相次いで亡くし、悲しみのどん底に。
 ■日韓の懸け橋
 戦後は夫の故国に帰りたいと願ったが韓国政府に受け入れられず、18年後にようやく念願かなって夫妻で韓国に渡ったとき、すでに夫は重い病を患っていた。夫の死去後も韓国に残り、日韓両国の懸け橋をつとめた生涯を振り返る最期の場面でこう歌う。
 「私の大切なふたつの祖国/私が生まれ育った国/私に愛をさずけた国」
 田さんは日本と朝鮮半島を歌で結ぶ活動を続け、日韓と北朝鮮の3国で公演。日韓両国を二つの祖国として生きた方子をオペラで演じたいと、10年以上前から構想を温めてきた。
 ■遺品から再現
 近年見つかった方子の日記や手紙などを読んで筋立てをつくった。衣装は、日本から韓国へ寄贈された方子の遺品、朝鮮王朝の大礼服「チョグ衣(チョグイ)」を、学校法人文化学園(渋谷区)の協力で再現した。音楽は、現代音楽に日韓のリズムを取り入れた曲を歌うという。
 田さんは日韓の相互理解に尽くした功績が評価され、今年度、外務大臣表彰を受けた。「私も日本と朝鮮半島のはざまで生きてきた。今年は国交50年の節目。日韓関係が悪化している中、歌手としてオペラで何かできないかと考えました」と語る。「悲運の皇太子妃と呼ばれた方子妃の前半生だけでなく、福祉に尽くし『韓国の母』と慕われた晩年にも光をあてたい」と意気込む。(編集委員・北野隆一)

 

 

人模様:日韓の「和」を願うオペラ  田月仙(チョン・ウォルソン)さん
(9月19日 毎日新聞


  旧皇族梨本宮家出身で朝鮮王朝最後の皇太子に嫁いだ、李方子(まさこ)さん(1901〜89年)をモデルにした創作オペラ「ザ・ラストクイーン」が27日、東京の新国立劇場で上演される。「時代に翻弄(ほんろう)されながら、二つの国の『和』を願って懸命に生きた。その心の軌跡を表現したい」と主演する声楽家の田月仙(チョンウォルソン)さん(57)。

 両親は在日コリアン1世。「自分の身一つで道を切り開こう」と好きな歌の道を突き進んだ。日韓国交正常化50周年の節目に自ら企画したのがこのオペラ。韓国に住む方子さんの元秘書らに話を聞き、台本を練り上げた。

 日韓併合後の政略結婚とはいえ、李垠(イウン)元皇太子と愛を育み、夫の死後は韓国で福祉活動に身をささげた方子さんに「在日女性として、シンパシーを感じる」とも語る。舞台では当時、婚礼で着用された宮廷衣装のレプリカを身にまとう。

 「朝鮮半島と日本は自分にとって、生きるうえでのテーマであり歌い続ける原動力」。この作品が相互理解の一助になることを願っている。【明珍美紀】

 

日韓国交正常化50周年記念オペラで李方子妃を演じる声楽家  田月仙(チョン・ウォルソン)さん
(8月19日 産経新聞


 日韓国交正常化50周年を記念して、新国立劇場(東京都渋谷区)で9月27日に上演される創作オペラ「ザ・ラストクイーン」の企画、台本、主演を務める。
 オペラは、日本の皇族、梨本宮家から朝鮮王朝最後の皇太子の元に嫁ぎ、戦後は韓国人として韓国の福祉活動に尽くした李方子(まさこ)さんをモデルにした。10年ほど前から温めてきた企画だ。(中略)
 2002年、日韓共催のワールドカップ(W杯)閉会式翌日、小泉純一郎首相主催で、韓国の金大中(キム・デジュン)大統領歓迎公演が首相官邸で開かれた。その舞台で日本の唱歌「故郷」と「アリラン」を披露した。
 「日本の歌と韓国の歌を、自分自身のふるさとの歌、2つの祖国の歌として歌える自分を再確認できた」という。在日コリアンとして生きる自身と、「同じように2つの国を祖国とし、日韓の和を求め生涯を貫いた方子妃の姿が重なり、オペラ制作にたどり着いた」。方子さんの実像に迫るため、韓国にも足を運び、ゆかりの人から話を聞き、台本に反映させた。
 「方子妃は本当に芯の強い人。夫である殿下が亡くなった後も韓国にとどまり、最後は『韓国のオモニ(母)』と呼ばれるまでになった。方子妃の心の軌跡を舞台で表現したい」(水沼啓子)

朝鮮王朝最後の皇太子妃
生涯描いたオペラが27日上演


2015年9月25日 夕刊(9月25日 東京新聞


 戦前、韓国併合に伴う政略結婚で日本の皇族から朝鮮王朝最後の皇太子に嫁いだ故李方子(りまさこ)さんの生涯を描く創作オペラ「ザ・ラストクイーン」が二十七日、都内で上演される。「悲劇の皇太子妃」は戦後、反日感情の強い韓国で障害児福祉に尽くし、日韓の懸け橋となった。在日コリアン二世のソプラノ歌手の田月仙(チョンウォルソン)さん(57)が「方子妃の人生を伝え、混迷する日韓関係に一つの風穴を開けたい」と企画、自ら主演する。 (辻渕智之)
 オペラは、方子さんが十四歳の夏に自らの婚約を新聞で知り、ぼうぜんとする場面で始まる。舞台は一時間半で、現代音楽に朝鮮半島のリズムや日本のメロディーを取り入れた新作。毒殺も噂(うわさ)された生後八カ月の長男の急死を嘆く「この悲しみよ」、夫の死後も韓国に残る決意を歌う「あなたと一緒に」とアリアが続く。
 方子さんの夫、李垠(りぎん)さんは十一歳で半ば人質として日本に留学させられる。陸軍中将まで昇進したが、終戦後は朝鮮王族の身分と資産を失い、帰国も難航する。方子さんを演じる田さんは「李垠殿下は『自分は、韓国人でも日本人でもない』と絶望される。方子妃も日韓の不幸な歴史に翻弄(ほんろう)されながら、互いに苦悩を理解しあうことで、真実の愛を深めた」とみる。
 田さんは東京都立川市出身。学んだ音大で、歌への賛辞に「日本人にはないものがある」との評価がつきまとった。初の韓国公演では、在日の歌手として好奇の目で見られた。「日韓どちらでも私は異邦人」。両国のはざまで生きる立場に苦しんできた。
 しかし、日韓や北朝鮮の首脳の前など、さまざまな舞台で歌い続けるうち、「在日の私だから、日本の歌も韓国の歌も自分の歌として歌える」と二つの祖国を持つ誇りに昇華した。
 オペラの構想は十年来温め、方子さんを知る人物を日韓各地に訪ね歩いた。「最後は尊敬され、『韓国のオモニ(母)』とまで呼ばれた方子妃にも二つの愛する祖国、ふるさとがあった」と確信した。台本も共作で手掛け、舞台では、方子さんが着用した王朝の特別な大礼服「チョグィ」を再現した衣装もまとう。作曲は東京音大卒の若手、孫東勲(ソンドンフン)さん。
 国交正常化五十年の今年も日韓関係はぎくしゃくしている。
 「日本は敗戦し、朝鮮半島は分断されたまま。殿下と方子妃のように、日韓も互いの歴史の痛みを共有できる関係になれば未来に向かえるのでは」
 公演は新国立劇場(渋谷区)で午後二時と五時。問い合わせはカラフネット=電03(3366)1229=へ。
 <李方子(り・まさこ)>韓国読みはイ・バンジャ。1901〜89年。当時の皇族、梨本宮守正王の長女。20年、朝鮮王朝の皇太子だった李垠さんと日本で結婚。第2次世界大戦の敗戦を日本で迎える。63年に病床の李垠さんと渡韓、李垠さんが70年に死去した後も韓国で暮らした。障害児支援の業績で韓国政府から国民勲章を受けた。

 

NHK BS1スペシャル
“韓国の母”になった日本人 〜朝鮮王朝最後の皇太子妃・李方子〜

 

NHK BS1スペシャル
“韓国の母”になった日本人 〜朝鮮王朝最後の皇太子妃・李方子〜

 本放送:12月26日(土)午後10時00分〜午後10時50分
 再放送:12月28日(月)午後6時00分〜午後6時50分

日韓国交正常化50年を迎える今年、歴史の波に翻弄されながらも両国の懸け橋として生きた女性を題材にしたオペラが上演された。主人公は李方子。戦前の皇族に生まれたが、旧大韓帝国の皇太子と結婚。韓国併合の時代、「日本と朝鮮の融和を進める政略結婚」とも言われた。日本の敗戦とともに、二人は地位も財産も失い放り出され、「日本協力者」として韓国へ戻ることを長く拒まれた。その後、方子は韓国で晩年まで障害児教育に力を入れ、「韓国のオモニ(母)」と呼ばれるまでになった。方子を演じるのは、在日コリアン2世のオペラ歌手、チョン・ウォルソン(田月仙)。「方子妃の人生を伝えることで、混迷する日韓関係に風穴をあけたい」という。新資料と数々の証言から李方子の生涯を浮き彫りにする。


 

“韓日의 경계서 눈물 삼킨 마지막 황태자비의 넋 달랬으면” 
‘이방자 여사의 삶’ 27일 도쿄무대 올리는 在日오페라 가수 전월선씨
(동아일보 韓国 東亜日報)

“韓日의 경계서 눈물 삼킨 마지막 황태자비의 넋 달랬으면” 

‘이방자 여사의 삶’ 27일 도쿄무대 올리는 在日오페라 가수 전월선씨

재일 한국인 소프라노 전월선 씨가 대한제국 마지막 황태자비인 이방자 여사의 결혼식 의상 복제품을 들어 보이고 있다.

대한제국의 마지막 황태자 영친왕(英親王·1897∼1970)의 비(妃)인 이방자 여사(1901∼1989)의 일대기를 그린 오페라 ‘더 라스트 퀸’이 한일 국교 정상화 50주년인 올해 일본에서 처음 만들어져 27일 도쿄 신국립극장에서 선보인다.

무쓰히토(睦仁·연호는 메이지·明治) 일왕 조카의 장녀로 일본 왕족인 이 여사는 한때 히로히토(裕仁) 왕세자의 비(妃) 후보에 오르기도 했으나 1920년 일본에 볼모로 와 있던 영친왕과 정략 결혼했다.

일본 육사 출신인 남편 영친왕은 일본 제1항공군 사령관으로 복무하다가 패전을 맞으면서 연합군에 재산을 몰수당하고 어렵게 살았다. 영친왕과 이 여사는 한국 국적이 회복된 이듬해인 1963년 한국 땅을 밟았다. 이후 영친왕은 오랜 투병 생활 끝에 1970년 창덕궁 낙선재에서 한 많은 생을 마감했고 이 여사는 홀로 한국에 남아 장애인 봉사활동에 헌신하다 1989년 남편 곁으로 떠났다.

이 여사의 기구한 삶을 오페라로 되살린 주인공은 남북한과 일본 3개국 정상 앞에서 노래한 것으로 유명한 재일 한국인 오페라 가수 전월선 씨. 자신이 직접 관련 자료들을 조사하고 관계자들을 인터뷰해 대본을 썼다. 주연도 맡았다.

이방자 여사
전 씨는 7일 도쿄 기타신주쿠에 있는 자신의 음악실에서 가진 인터뷰에서 “일본인이지만 자신의 의사와 무관하게 한국의 마지막 황태자비가 됐던 이 여사의 삶은 재일 코리안의 삶을 거꾸로 비추는 거울이기도 하다”고 말했다.

1시간 40분 분량의 이 오페라는 소녀 이방자가 1919년 신문에서 자신의 약혼 소식을 보고 충격을 받는 장면으로 시작된다. 1920년 영친왕과 결혼한 후 이듬해 낳은 장남 진을 1922년 한국 방문 중 잃고 고통 받는 장면은 극중 하이라이트다. 전 씨는 “이 여사는 마지막까지 장남이 독살됐다고 믿었다”고 말했다. 조선 황실의 혈통을 끊기 위한 일제의 모략이었을 가능성이 있다는 것이다.

이 여사는 1989년 만 88세로 세상을 떠나기까지 좀처럼 감정을 드러내지 않았다. 남편 영친왕은 기록조차 거의 남기지 않았다. 전 씨는 “생전에 두 분이 마음 깊은 곳에 꼭꼭 가둬 뒀던 감정을 노래를 통해 풀어내려 했다. 적어도 오페라에서 두 분의 감정은 자유로워졌다. 넋이라도 달래질지 모르겠다”고 말했다.

오페라 초연에 대한 일본 각계의 관심은 뜨겁다. 주요 신문의 보도가 이어지는 가운데 이 여사의 일족인 일본 왕족들도 큰 관심을 보이고 있다고 전 씨는 전했다. 전 씨는 “‘이 여사의 존재를 처음 알았다’며 놀라는 일본 젊은 세대의 반응에 희망을 느끼고 있다”며 “일본 젊은 세대가 이 여사를 통해 멸망한 조선왕조와 한일 근현대사에도 눈을 뜬다면 서로에 대한 이해와 우호가 깊어질 것”이라고 지적했다.

전 씨는 특히 ‘2개의 조국’이라는 오페라 마지막 아리아를 부를 때마다 가슴이 복받쳐 올라온다고 말했다. 남과 북, 한국과 일본이 교차하는 재일 코리안으로서의 정체성 때문일 것이다.

이 여사가 영친왕의 곁을 끝까지 지킨 것은 일왕의 칙령 때문은 아니었을지 그에게 조심스럽게 물었다. 전 씨는 고개를 저었다.

“처음엔 그랬을지도 모르죠. 하지만 이 여사는 가장 어려운 시절에도 남편의 곁을 떠나지 않았고 그가 별세한 이후에도 약속대로 한국에 남았습니다. 진짜 애정이 없으면 불가능한 일들이죠. 정략 결혼에 희생되긴 했지만 두 분 사이에는 사랑이라는 ‘마음의 기적’이 일어났던 겁니다.”

전 씨는 “재일 코리안으로서 한일 간에도, 남북 간에도 ‘마음의 기적’이 일어나길 고대하고 있다”며 먼 곳을 바라봤다.

 

 

NHK WORLD

재일 코리안 성악가 전월선씨가 9월말 창작 오페라에 출연합니다.


*NHK WORLD 사이트에서 이동합니다.
작품 주제는 일본 황족 출신으로, 조선왕조의 황태자와 결혼한 이방자 여사의 인생.

조선반도와 일본 사이에서 30년 이상 활동을 계속해 온 전월선씨.

그런 전월선씨에게 이방자 여사에 대한 이야기를 들어봤습니다.

Chon Wolson hopes opera will bridge South Korea-Japan ties

JAPAN NEWS The Yomiuri Shimbun




Soprano Chon Wolson shows the costume she will wear in “The Last Queen.”
6:52 am, September 21, 2015
By Taku Iwaki / Yomiuri Shimbun Staff Writer
To celebrate the 50th anniversary of the normalization of diplomatic ties between Japan and South Korea, soprano Chon Wolson, a second-generation South Korean national living in Japan, will star in a new opera titled “The Last Queen.”

The opera will depict the volatile life of Princess Masako (1901-1989), a member of the Japanese Imperial family who married a prince of the Korean dynasty.

Princess Masako, who hailed from the Nashimoto imperial family, married Lee Eun of the Korean dynasty. Though it was a marriage of expediency, the couple nurtured a genuine love. However, the two lost their nationality following Japan’s defeat in World War II.

After her husband’s death, Masako focused her efforts on welfare activities for physically disabled Korean children and began to be called the “Omoni (mother) of South Korea.”

Now that Japan-South Korea relations are thawing, Chon has special hope.

“I want people to learn about Princess Masako, who desired harmony between the two countries, through this opera,” she said.

The story starts with a scene in which Masako is shocked to find her engagement to the Korean prince in a newspaper report. The initial highlights of the opera are scenes of her marriage and the sudden death of her first son at a young age.

Chon sings about the princess’ agony after her happiness turns into a deep pit of sorrow.

The soprano will wear a reproduction of a dress from the Korean dynasty, which Princess Masako wore for her wedding. The dress was specially re-created for the upcoming performances.

Chon said she is doing her best to delicately express scenes in which the princess has lost everything in Japan’s defeat in the war and the death of her husband.

She dramatically sings such arias as “Kutsujoku ni Taete” (Enduring the disgrace) and “Mamoru no mo Watashi” (I will also defend).

The music in the opera is fundamentally based on Western-style melodies, but there are also works that incorporate melodies and rhythms distinct in Japan and South Korea. The lyrics are all in Japanese.

Though the opera consists mostly of Chon’s solo performance, it will also feature a chorus and a ballet dancer and uses video footage.

The production team, including the composer, director and orchestra, is a mix of Japanese, South Koreans and South Korean nationals living in Japan.

Chon started planning the project about a decade ago. However, she almost gave up once due to obstacles she felt in terms of both funds and productions.

However, she was motivated by her desire to achieve harmony between her two home countries — Japan and South Korea.

“I’ve engaged in music with the hope of serving as a bridge between Japan and South Korea,” Chon said.

She also hopes she will be able to express the untold feelings of the tragic couple, who had no choice than to suppress their emotions as victims of history, through the opera.

“I thought the audience would be moved by my speaking to them through an opera [an art form in which] people’s emotions are strongly expressed from the bottom of the heart,” she said.

Through a desire to better understand how the princess had lived and felt, Chon visited people close to her, including the princess’ former secretary, in Seoul and elsewhere. Everywhere she went, people were well aware that Masako had helped underprivileged children in South Korea.

Some of them encouraged Chon in her efforts, saying: “I respect Princess Masako. I hope the people in Japan learn more about her.”

“The Last Queen” will be staged at the Playhouse of the New National Theatre, Tokyo, in Shibuya Ward, Tokyo, on Sept. 27, 2 p.m. and 5 p.m. For more information, please visit lastqueen.net/2aboutE.html.Speech

YAHOO NEWS (WOW KOREA)



オペラ歌手・田月仙、日韓の懸け橋として生きた女性・李方子(りまさこ)を題材にしたオペラ制作


2015年、日本と韓国が国交正常化50年を迎える中、歴史に翻弄されながらも日韓の懸け橋として生きた女性を題材にしたオペラの制作が進んでいる。(オフィシャル)

 2015年、日本と韓国が国交正常化50年を迎える中、歴史に翻弄されながらも日韓の懸け橋として生きた女性を題材にしたオペラの制作が進んでいる。

 オペラの主人公は元日本の皇族でありながら、朝鮮王朝最後の皇太子妃となった李方子(りまさこ/イバンジャ=1901〜1989)。「日本と朝鮮の融和を進める政略結婚」とも言われたが、戦後、反日感情が強い韓国に渡り、日韓の懸け橋となった。近年になり、方子の様々な資料が再確認されている。オペラの台本は、これらの資料を読み解きながら作り上げられている。

 制作の中心人物はデビュー以来、30年にわたり歌で日韓をつないできた在日コリアン2世のオペラ歌手・田月仙(チョン・ウォルソン)。「日韓国交50年のいまこそ、方子妃の人生を広く伝えることで、日韓関係をもう一度みつめなおしたい」とオペラの企画をした。

 

 来る9月27日、新国立劇場にて、「2015年日韓国交正常化50周年記念特別企画創作オペラ『ザ・ラストクィーン』Opera The Last Queen〜朝鮮王朝最後の皇太子妃 李方子〜」と題して、公演される。
■李方子妃とは… 
元皇族・梨本宮家に生まれ、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)のお妃候補ともいわれたが、1920年(大正9年)、日本の王公族となった旧大韓帝国の元皇太子・李垠(りぎん/イ・ウン)殿下と結婚。韓国併合時代、「日本と朝鮮の融和を進める政略結婚」とも言われた。
ところが日本の敗戦と共に、二人は皇族の地位も、日本国籍も、財産も失う。夫婦は韓国渡航を打診するが「日本への協力者」として拒否されてしまう。ようやく韓国へ渡る許可が出たのは、日韓国交正常化直前の1963年のことだった。しかし夫はすでに病に侵されていた。
しかし、方子妃は夫の死後も日本に戻らなかった。そして反日感情の渦巻く韓国で、冷ややかに見られながらも、福祉活動に力を入れ、韓国社会に貢献した。そして、徐々に「韓国のオモニ(母)」と呼ばれ、受け入れられていく。87歳で死去したときは、皇太子妃の準国葬として扱われ、葬列は1キロにも及び、韓国民がその死去を痛んだ…。

■田月仙(チョン・ウォルソン)とオペラ「ザ・ラストクィーン」
オペラ「ラストクィーン」は、田月仙が10年にわたり構想を続けてきた創作オペラで、日韓国交正常化50年を記念して上演が実現する。
田月仙はデビュー以来30年にわたり、オペラアリアとともに日本に朝鮮半島の歌を紹介して、クラシックの音楽評論家からも絶賛されてきた。リサイタルではオペラアリアとともに、韓国の歌、日本の歌などを披露してきた。歴史に埋もれた歌を探し出し、関係者の話を聞き取り、歌に込められた人々の気持ちに思いをはせ、それを再び自らの解釈で歌うというものである。
オペラ「ザ・ラストクィーン」の制作でも、李方子の実像に迫るため自らが日韓各地を訪ね歩き取材した新しい情報や、埋もれた事実など基に台本を書き上げた。また衣装は1990年に日本政府が韓国に返還した幻の衣装・チョギを再現したものを使用するなどリアリティにもこだわっている。 
オペラの音楽は現代音楽に朝鮮半島のリズムや日本のメロディを取り入れたオリジナル新作である。李方子の波乱の人生を音楽で表現するために和声の進行を模索する。

■田月仙(チョン・ウォルソン)ソプラノ  李方子役
東京生まれ。世界各国でオペラやコンサートに出演。初の南北コリア公演を実現し、韓国ソウルで初めて公式に日本の歌を歌う。W杯日韓共催記念オペラ「春香伝」日韓両国にて主演。日本国総理大臣主催韓国大統領歓迎公演で独唱。NHK「海峡を越えた歌姫」、KBS「海峡のアリア 田月仙30年の記録」が全国放送。
著書に「海峡のアリア」。禁じられた歌(中央公論)など。第14回日韓文化交流基金賞受賞。二期会会員。日韓交流の第一人者として活躍している。艶やかな舞台姿と魂の歌声に大きな期待が寄せられている。

聖教新聞「文化」欄


海峡を越える心の歌 ソプラノ歌手・田月仙(チョン・ウォルソン)

オペラ「ザ・ラストクイーン」 日韓の懸け橋 李方子妃を演じる

ソプラノ歌手・田月仙(チョン・ウォルソン)さんは、10年にわたって構想を練り、企画、台本、主演を務めるオペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」を昨年秋に初演しました。本年11月の再演を控え、このオペラにこめた思いを聞きました。
 「ザ・ラストクイーン」は、日本の皇族から朝鮮王朝の皇太子・李垠(りぎん)殿下の元へ嫁いだ李方子(りまさこ)妃(1901-89年)の生涯を描いた創作オペラです。私が方子妃を演じて、歌詞はすべて日本語で歌います。
 方子妃は、夫への愛に生き、韓国の恵まれない子どもたちのために尽力しました。韓国に渡ったときは逆風の中で迎えられましたが、亡くなったときは準国葬で、数十万の人々に数キロに及ぶ葬列で見送られました。今も「韓国のオモニ(母)」と慕われています。波乱の真っただ中を、ひたむきに生き抜いた人生に、私自身、深く胸を打たれます。
私は日韓国交正常化40周年の2005年に、すでにオペラ化の構想を練って、自分の代表作にしたいと願っていました。国交正常化50周年だった昨年に初演し、今年も再演します。こうしてご紹介することができて、光栄です。
方子妃と李垠殿下の結婚は、政略結婚とも言われましたが、残された日記や自伝を読むと、真実の愛をはぐくんだことが伝わります。ところが、歴史の激動の中で、2人は運命に翻弄されます。生まれたばかりの長男・晋(しん)の死は、何者かによる毒殺もささやかれました。終戦とともに、2人は皇族の身分も、財産も、日本国籍も失いました。やっと韓国に戻ることができたのは1963年のことです。病に臥した夫の「韓国に帰ったら貧しい不幸な子どもたちのために生涯を捧げる」との言葉を胸に、方子妃は、恵まれない子どもたちのために学校を建てます。その一つは明暉園(ミョンヒウォン)といって、夫の雅号から取りました。常に一つだった2人の心を象徴している名前です。

 

 

オペラでは、朝鮮王朝の婚礼の儀で着用された大礼服・翟衣(チョグィ)を衣装として再現しています。
方子妃は、学校の運営資金を募るために、欧米で宮廷衣装のファッションショーを行いました。このときに翟衣をまとったそうです。これには批判もありましたが、朝鮮王朝の最後の皇太子妃として、伝統に彩られた宮廷の美と誇りを伝えていかなければ、という強い思いがあったのだと思います。
オペラでは、アリア(独唱曲)で「私が生まれ育った国(日本)、私に愛を授けた国(韓国)」と、二つの祖国への愛を歌う場面があります。舞台には、「和」としたためられた方子妃の直筆の書が映し出されます。両国の平和と友好への願いが、強く胸に響いてきます。
私自身は、日本に生まれ育った在日コリアンです。東京の朝鮮学校を卒業しましたが、各種学校扱いとなってしまい、多くの音楽大学への門が閉ざされてしまうなど、さまざまな困難を強いられることもありました。


ただ、そうした私だからこそ、できることがあると思います。例えば2002年のことですが、日韓共催のサッカーワールドカップの閉幕後に首相公邸で行われた、金大中(キムデジュン)大統領夫妻の歓迎公演で独唱者に選ばれました。このとき、日本の「故郷」と韓国の「アリラン」を、ともに自分の祖国の歌として歌い上げることができました。
このオペラもそうです。日韓の海峡を越えて、両国を結ぶ懸け橋になりたいと願った李方子妃の心を、歌い続けていきます。

赤旗

 

芸能・テレビ
李王朝に嫁いだ日本の皇族
「ザ・ラストクィーン」来月再演 オペラ歌手 田月仙(チョン・ウォルソン)

日本の皇族で長女で朝鮮王朝最後の皇太子に嫁いだ李方子(りまさこ)。後半生を韓国で障害児教育にささげ、
「韓国に母」と募られた生涯(15歳から87歳まで)を、オペラ歌手。田月仙さんが再演します。
初演は日韓国交平常化50年を迎えた昨年9月。今回は文化庁芸術祭参加公演です。
「2014年春に本格的に制作活動をはじめました。
創作オペラというものは本当に大変でいたが私の夢でした」と在日2世に田さん。
方子の結婚は政略結婚でした。日本敗戦で皇族の地位を失い、「チョッパリ(日本人へんの蔑称)出て行け」と強い反発を受けた彼女。支えたのは皇太子への愛と日韓の溝を埋めようとする償いの気持ちでした。
10年前から構想を温めてきた田さんは抱負を語ります。「方子の存在する知らない日本人は多いでしょう。
オペラならあまり語ることもなかった二人の思いを表現できるのではと思いました。国を背負って生きた心の内面を表現したい」。伝統の婚礼衣装も披露されます。

 

朝日新聞 朝鮮皇太子妃のオペラ再演へ 新たな縁 役立て再演

創作オペラ「ザ・ラストクイーン」初演の舞台で歌う田月仙さん=昨年9月27日、渋谷区の新国立劇場、田さん提供

 日本の皇族出身で朝鮮王朝最後の皇太子妃となった李方子(りまさこ)(1901〜89)を描いた創作オペラ「ザ・ラストクイーン」が11月1〜2日に渋谷区で再演される。日韓国交正常化50年の昨年9月に初演された際は、企画・主演した在日コリアン2世のオペラ歌手田月仙(チョンウォルソン)さん(59)のもとに、方子の親族や知人らから写真やゆかりの品が多く寄せられたという。 方子は旧皇族・梨本宮守正王の長女。日本による韓国併合後、朝鮮王朝最後の李垠(イウン)皇太子と政略結婚させられた。終戦で身分も国籍も失い、晩年は夫妻で韓国に移り住んだ。

 

 

 田さんは「日韓両国の懸け橋として生きた方子を演じたい」と、日記や手紙などの資料を読み、関係者に話を聞いた。方子が韓国で障害者福祉事業に尽くし「韓国の母」と慕われたことなど、「厳しい運命に翻弄(ほんろう)されながら希望を失わなかった生き方に焦点を当てたい」と考えたという。

 方子のおい廣橋興光(ひろはしおきみつ)さん(83)=渋谷区=とも、公演が縁で知り合った。廣橋さんは「おばの誕生日である毎年11月4日、東京で誕生会の食事をともにしました」と振り返る。晩年の方子は、韓国で運営する障害児施設の費用を得るためたびたび帰国し、作品展やバザーで寄付を募った。熱心な取り組みを、皇室に連なる日本の親族や学習院の同窓生らが支えたという。

 田さんは廣橋さんから、方子夫妻らが結婚後間もない20年代に撮影した笑顔の写真を見せてもらった。「お二人の穏やかな表情から、日韓両国のはざまで苦しみながらもお互いをいたわり、温かな愛を育んでいたと実感できました。再演に役立てたい」

 

読売新聞


 「ザ・ラストクィーン」 田月仙さんオペラ再演

在日韓国人2世のソプラノ歌手、田月仙さん=写真=による創作オペラ「ザ・ラストクィーン」が11月1日(午後7時半)と2日(同3時) 東京・渋谷のさくらホールで再演される。
日本の皇族から朝鮮王朝に嫁ぎ、 「韓国の母(オモニ)」とまで慕われた李方子妃(1901〜89年) の激動の人生を描く。
昨年9月、日韓国交平常化50周年を記念して初演では、
皇族や日韓の関係者らも鑑賞した。
公演後 田さんの元には、李方子妃を知る人々から多くの情報が寄せられた。
今回、こうした新証言を取り込み、朝鮮王朝最後の皇太子・李垠殿下との夫婦愛を濃密に描くなどして作品を練り直した。田さんは「
反響は大きく、さらなる日韓の相互理解を願い。誠心誠意作り上げた」と話している。

 
 
 

朝鮮日報 "李方子 삶 통해 韓·日 역사 알리고 싶어" 재일 교포 소프라노 전월선씨

"李方子 삶 통해 韓·日 역사 알리고 싶어"
100자평0페이스북0트위터더보기
재일 교포 소프라노 전월선씨
영친왕 妃 생애 그린 창작 오페라 '더 라스트 퀸' 일본에서 재공연

재일 교포 소프라노 전월선(田月仙·58·사진)씨가 대한제국 마지막 황태자 영친왕(英親王) 비(妃)였던 이방자(李方子·1901~1989) 여사의 생애를 그린 창작 오페라 '더 라스트 퀸'을 다시 무대에 올린다.

'더 라스트 퀸'은 지난해 9월 한·일 국교 정상화 50주년을 기념해 일본 도쿄에서 초연했다. "한국과 일본의 평화를 기원하는 오페라"(마이니치신문)라는 호평을 받았다. 이방자 여사를 연기하며 각본·연출까지 맡았던 전씨가 재공연을 결정했다. 오페라는 다음 달 1~2일 도쿄 시부야구 문화종합센터에서 공연된다.

 

재일 교포 소프라노 전월선/최인준 특파원
'내게 너무도 중요한 두 개의 조국/ 내가 태어나고 자란 나라/ 나에게 사랑을 준 나라….'

이 오페라 마지막 아리아 '두 개의 조국'은 이렇게 흘러간다. 이방자(전월선)는 조선 왕비의 대례복과 궁중 의상을 바라보며 애수에 찬 목소리로 노래한다. 전씨는 "일본 왕족 출신으로 자신의 의지와 상관없이 한국의 황태자비가 돼 외로운 삶을 살았던 이 여사의 삶을 통해 잊힌 우리 역사를 알리고 싶었다"며 "두 조국을 그리워하는 이 아리아에선 감정이 북받쳐 오른다"고 했다.

전씨는 10년 전부터 이방자의 삶을 담은 오페라를 구상했다. "한국을 오가며 생전 이방자 여사를 모셨던 비서 및 관계자들과 인터뷰한 내용을 대본에 담았다"고 했다. 이방자 평전을 여러 번 읽고 작품 속 의상도 전문가 고증을 받았다.

전씨는 1985년 평양축전에 초청받아 김일성 주석 앞에서 공연했고 2002년 6월 고이즈미 준이치로 일본 총리가 주최한 김대중 대통령 환영 만찬 무대에도 선 유명 음악가다. 하지만 아픈 과거를 가지고 있다. 어릴 적 재일 교포 북송 사업으로 오빠 네 명과 생이별했다. 일본에서 태어나 자랐지만 한국 이름을 썼고 이 때문에 일본 음대에서 입학을 거부당하기도 했다.

"내 삶을 한마디로 요약하면 '파란만장'이 될 거예요. 대한제국의 황태자비였지만 한국과 일본에서 제대로 대접받지 못한 이방자 여사에게 감정이입할 수 있었습니다. 이 오페라를 한국에서도 무대에 올리고 싶어요."

NHK 李方子さん生涯描くオペラ上演へ

 

 

日本の皇族から朝鮮王朝の皇太子に嫁いだ故・李方子さんの生涯を描いたオペラが、ことし3月に大阪で上演されることになり、主演のソプラノ歌手が記者会見を開いて抱負を語りました。

「ザ・ラストクイーン」と題された作品は、日本による韓国併合時代、日本の皇族から政略結婚で朝鮮王朝最後の皇太子、故イ・ウン殿下に嫁ぎ、戦後は韓国で福祉活動に力を入れた李方子さんの波乱の人生を描いています。
ことしは、李方子さんが亡くなってから30年となり、これにあわせて夫妻が戦前暮らした大阪で初めて上演されることになりました。
10日は、オペラを企画し主演をつとめる在日韓国人2世の、ソプラノ歌手、田月仙(チョン・ウォルソン)さんらが、記者会見を開きました。
日韓関係が悪化しているなかでの公演について、「日本と朝鮮半島のはざまにいる人間として、史実に基づいたオペラを全身全霊で作りあげたので、両国の平和を求めた方子様の気持ちを伝えることができるよう頑張りたいです」と意気込みを語りました。
このオペラは、大阪市の「ドーンセンターホール」で3月10日に上演されます

 

産経新聞 オペラ「ザ・ラストクイーン」 音楽で日韓つなぎたい

 

 

芸能ワイド
オペラ「ザ・ラストクイーン」 音楽で日韓つなぎたい
皇族に生まれ、朝鮮王朝の皇太子に嫁いだ李方子さん(1901〜1989)をモデルにしたオペラ「ザ・ラストクィーン」が3月10日、 大阪中央区のドーンセンターホールで上演される。作・主演の声楽家、田月仙(チョン・ウォルソン)は「日本で育った在日韓国人として、音楽を通じて両国つつなげれれば」と話す。
李方子さんは日本の旧皇族、梨本宮家生まれ、日本と朝鮮の融和を進める政略的な背景から1920年に朝鮮王朝最後の皇太子李垠氏と結婚。生後間ない長男の死や戦後の身分過失など波乱を乗り越え、夫の亡き後は韓国で障害者福祉活動に力を尽くした。
オペラ化の企劃、制作を手がけた田は日本で育った在日韓国人であり、2つの祖国を持つ方子さんと重なる背景持つ。「時代に翻弄されながらも夫を支え続け、福祉活動の功績から『韓国の母』とまでいわれた生き方は今の私たちに訴えかけるものがある」と力をこめる。
オペラは平成27年に東京で初演、大阪での上演は今回初めて。 公演を行うドーンセンターホールが方子さんの次男、玖氏が通った大阪偕行社付属小学校(現在・追手門学院小学校)の跡地にあることから、同校関係者により当時の詳しい情報を寄せた。
田は 「大阪でご夫婦は穏やかに愛を育まれた。 大阪公演では当時の写真など新たな資料や情報も舞台に生かし、国を背負うお2人が言葉にできなかったお気持ちを魂の底から実現したい」と意気込む。
午後2時、同5時の2公演。 S席9千円、A席7千円、B席5千円。問い合わせザ・ラストクィーン実行委員会(03・3366・1229)。(尾垣未久)

 

読売新聞 李方子さんの生涯 オペラ上演へ 

 


上演する意義を語る田月仙さん(大阪市内で)

 日本の旧皇族から朝鮮王朝最後の皇太子に嫁いだ李方子(1901〜89年)の波乱の生涯を描くオペラ「ザ・ラストクイーン」が3月10日、大阪市内で上演される。日本の朝鮮半島支配に抵抗した「3・1独立運動」から100年の今年、日韓関係は厳しさを増している。大阪には方子がかつて暮らした縁もあり、関係者は「上演を相互理解につなげたい」と願う。

 企画と主演は、在日韓国人2世のソプラノ歌手・田月仙チョンウォルソンさん。皇太子・李垠イウンとの政略結婚が決まった1916年から方子が亡くなるまでの物語で、戦後に日本国籍と王族の身分を失って苦悩し、「日本の協力者」といわれながらも韓国で障害児支援に尽力した姿などが、両国の伝統的な音楽とリズムでつづられる。

 旧日本陸軍の要職に就いた李垠は40年頃、一家で大阪市内で生活し、次男の李玖は大阪偕行社付属小(現・追手門学院小)に通った。十数年前から方子の研究を続ける田さんは、関係者から当時の写真などを入手。公演では、舞台の背景にこれらを映し出す演出も検討している。

 

 田さんはこれまで、音楽で朝鮮半島との懸け橋になりたいと、日韓と北朝鮮で公演してきた。2015、16年、同名のオペラを東京で上演したが、一家が暮らした大阪での公演は念願だったという。

 今年3月1日は1919年の「3・1独立運動」から100年、4月30日は方子の没後30年にあたる。図らずも今、日韓関係は韓国人元徴用工訴訟や韓国海軍のレーダー照射問題などを巡って緊張が続いており、両国のはざまで生き抜いた方子の存在を発信する好機と考えた。

 田さんは「両国の複雑な歴史の犠牲になりながらも、人のために尽くした彼女の姿を描くことで、両国の平和を考えるきっかけにしたい。日韓関係が冷え込む今だからこそ、上演する意義は大きい」と話している。

 上演は、大阪市中央区のドーンセンターホールで午後2時と午後5時から。チケットは5000〜9000円。いったん完売し、現在はキャンセル待ちの状態といい、問い合わせは実行委員会(03・3366・1229)。

李方子 日本名り・まさこ。旧皇族・梨本宮(なしもとのみや)家の長女として生まれ、18歳の時、李王朝の皇太子・李垠と結婚。1910年の韓国併合に伴う制度に基づき、夫とともに日本の王族となったが、戦後の新憲法で国籍や身分を失った。60年代に韓国国籍と韓国への渡航が認められ、韓国で障害児教育などの福祉活動に尽力した。

 

文藝春秋オピニオン 2019年の論点100
恩讐を超えて――朝鮮王朝最後の皇太子妃に学ぶ
田月仙(チョン・ウォルソン) 寄稿

 

文藝春秋オピニオン 2019年の論点100
恩讐を超えて 朝鮮王朝最後の皇太子妃に学べ
田月仙(チョン・ウォルソン)

  2019年は日本統治時代の朝鮮で起きた三一独立運動から百周年を迎える。私は様々な国で公演を重ねるうち、いまだ続く嫌韓・反日などによる両国の溝を肌で感じるようになり、それを埋めることのできる何らかの方法がないかと思いを巡らせるようになった。そして史実からひとつの構想が浮かんだ。

 かつて日本と朝鮮半島に激動の歴史が刻まれる中、両国の架け橋となった一組のカップルがいた。朝鮮王朝最後の皇太子・李垠(イウン)。そして日本の皇族・梨本宮方子(まさこ)。その結びつきは世紀の政略結婚とも言われた。ふたりは国を象徴する存在であったがゆえ、感情を露わにする事はなかった。一方私が職業とするオペラでは歌手は登場人物の感情を伝えるべく全神経を集中し、魂の底から声を発し歌わなければ成り立たない。その違いに着目した私は、この史実をオペラ作品として作り演じる事で、語られざるふたりの思いを人々に伝えられるのではないかと考えた。そして私はふたりの心の軌跡に迫るため、ゆかりの地を尋ね歩いた。その過程で膨大な写真、手紙や日記などの資料を発見した。

 …1916年夏、15歳の方子は自分の婚約を新聞記事によって知る。相手は伊藤博文に連れられ日本に留学していた李垠。方子は、後の昭和天皇のお妃候補ともいわれていたが「日鮮融和の礎」としての覚悟を決める。およそ150ページにおよぶ方子直筆の日記は、今から百年前の1919年元旦に始まる。「希望多く任務重き大正八年。処女としての最後の新年…」。ところが1月25日の婚儀を前に事態は急変する。李垠の父、朝鮮王・高宗が急死し、垠は急きょ朝鮮へ戻る。婚儀は延期された。高宗の死には暗殺説や垠が日本人と結婚することに憤慨し自殺したというものまで様々な風説が広まり三一運動が起きる。日記には朝鮮から戻らぬ李垠を案じる記述がある。3月7日「殿下はどんなにしていらっしゃるかしら、朝民の暴動はどんな風なのかしら。何だか心配である」。一方、結婚の延期は、二人に互いを理解する時間を与えた。8月2日「本当に私は幸福なりき。隣国とは申せ 私には毛頭へだての心は起しがたく。ひとたびお会いしてからは 御懐かしさの心のみ出て…」。日本と朝鮮の関係が悪化していくまさにその最中に、二人は互いを思いやり、絆を強くしたのである。

 しかし結婚後、不幸が続く。生まれたばかりの長男・晋の死。方子は生涯において何者かに毒殺されたと思っていたという。一方で李垠は「日本人以上の日本人」(元陸軍・今村和男)と見られるほど模範的な陸軍軍人となる。しかし日本の敗戦により二人は地位も財産も失い平民となり、さらには外国人とみなされるようになる。「これではっきり日本からほうり出された」と方子は思った。居場所を失った李垠は病に倒れる。方子は夫を故国に帰そうとするが難航する。ようやく二人が韓国へ渡ることができたのは戦後18年たった1963年だった。韓国では反日の嵐が吹き荒れていた。方子に対して「李王家の血を日本の血で汚したという反発もあった」(外務省・町田貢)。

 1970年李垠が死去。この時方子68歳。ひとり韓国に残されたが日本へは戻らず当時まだ普及していなかった障害児教育に打ち込む。子供達を集め自立のために縫製や工芸などを教えた。資金集めのために来日し募金活動も行なった。「日本の元皇族」に学習院の同級生や各方面の名士が協力した(甥・廣橋興光)。在日韓国人も「朝鮮王朝の妃殿下」を歓迎し応援した。方子は集めた資金を韓国での福祉活動につぎ込んだ。

 方子の原動力。そこには日本で苦難を共にした李垠との約束があった。「いつか故国に戻れたら、不幸な子供達のために尽くそう」(協力者・金順姫)。そして「韓国民に受け入れてもらうために、最も厳しい障害者のお世話に取り組まれたのだと思う」(協力者・朴夏順)。方子は不自由な韓国語を駆使し、チマチョゴリをワンピース風に直して着ていた。長年秘書を務めた李公宰は「方子妃は自分が韓国にとって罪人であると思っていらした」という。韓国で暮らしながら韓国人の気持ちに寄り添うようにもなった。かつての日記では三一運動について "暴動"と書いたが、70年代に書いた自伝では"蜂起"と表現している。

 当初は冷ややかに見られていた方子だが、徐々に韓国民に受け入れられていく。
 1989年の昭和天皇崩御の前年、方子は日本でお遍路を巡る。写真には白衣を纏った姿が映っている。そして昭和が終わり、同年追うようにして方子は朝鮮王宮昌徳宮で87才の生涯を終えた。韓国民は準国葬という破格の弔いで報い、葬列は数キロにも及んだ。今も「韓国の母」と呼ばれている。

 方子の人生の根底にあるのは、相手を思いやり痛みをわけあう精神だった。日本皇族の身分も奪われ、およそ500年続いた朝鮮王朝も滅びたが、方子の精神は生きていた。

 オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」は2015年日韓国交正常化50周年を記念し新国立劇場で初演を果たした。劇場には日本人韓国人の分け隔てなく多くの観客が訪れ感涙に包まれた。同年の園遊会に招かれた私は、天皇皇后両陛下に公演の報告をすることができた。瞬時に「李王様の…!」と応じられた。2019年、平成は終わりを告げる。同時に李方子没後30年となる。3月10日、かつて垠と方子が暮らした大阪大手前、偕行社の跡地でオペラ「ザ・ラストクイーン」を再演する。日韓の狭間におかれている私自身が李方子役を演じる。

 

オペラ歌手 田月仙(チョン・ウォルソン)
東京生まれ。華やかな舞台姿と魂を揺さぶる歌声が多くのファンを魅了している。「椿姫」「蝶々夫人」「サロメ」「トスカ」など、世界各国でオペラやコンサートに主演。1994年 ソウル600年記念オペラ「カルメン」主演で、1985年のピョンヤン公演と併せ、初の南北公演を実現。1998年ソウルで戦後初めて日本語の歌を歌う。2002年W杯記念オペラ「春香伝」日韓両国で主演。日本・韓国・北朝鮮の首脳の前で独唱した唯一の歌手としても知られる。2006年初の著書「海峡のアリア」が小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞。「禁じられた歌」(中央公論)などの著書もあり。日韓のテレビにも数多く出演。NHK「海峡を越えた歌姫」、韓国KBSスペシャル「海峡のアリア」など特集番組も放送された。2015年外務大臣表彰受賞。2015年オペラ「ザ・ラストクィーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」(文化庁芸術祭参加)企画台本プロデュース主演(2019年3月再演)。

 

 

大阪民主新報 日韓関係に一石投じたい オペラ歌手 田月仙(チョン・ウォルソン)さん

 

創作オペラを大阪初公演 日韓関係に一石投じたい オペラ歌手 田月仙さん

 創作オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」の大阪初公演が来月、大阪市内で行われます。在日コリアンのオペラ歌手として、世界各地で音楽活動を続けてきた田月仙(チョン・ウォルソン)さんが自ら取材し台本を執筆、主演を務めます。「日韓両国の平和を求め続けた方子妃の姿を伝えたい」と語る月仙さんに話を聞きました。(聞き手は、佐藤圭子本紙編集長)

――この作品は十数年前から構想を温めてこられたそうですね。
月仙 日本でオペラ歌手としてデビューして今年で35年になりますが、30年を迎えた頃から、私自身が日本と朝鮮半島の間(はざま)にいる一芸術家として、両国をつなげるような役割ができればと強く思うようになりました。その過程でこの題材に出会いました。
 方子さんは、日本の皇族の梨本宮家の長女で、後の昭和天皇のお妃候補ともいわれた人でしたが、激動の時代の中で、15歳になったばかりの時に、当時日本に留学していた朝鮮王朝の皇太子殿下と政略結婚のような形で結ばれました。
 これまで方子妃は、日韓の歴史の犠牲者のように捉えられていた部分もありますが、調べていくと、朝鮮半島が日本の統一下に置かれ、戦争も起きる中で、朝鮮王朝の皇太子であった殿下の複雑な気持ちをずっとそばで見て、誰よりも分かっておられた。そして2人の間に真実の愛が生まれ、晩年は日本人としての贖罪意識のような気持ちも生まれる中で、自分が一つの役目を果たさなければという義務感を、まだ幼いのに持っていらしたのだと思います。
 殿下が亡くななった後も韓国に残り、殿下との約束だった韓国の最も恵まれない子どもたちのための福祉活動に奔走されました。今も韓国では「韓国の母」と呼ばれているのを知り、日本では忘れられた歴史や、最後まで日韓両国の平和を求め続けた方子妃の姿を、ぜひオペラでお伝えしたいと思いました。
――2015年に日韓国交50周年特別企画で東京の新国立劇場で初演され、翌16年に文化庁芸術祭参加公演として再演。今回、初の大阪公演では、新たに分かったことも踏まえた舞台になっているとのことですが。
月仙 東京公演後に、昔の方子さんをご存じの方や、自分のご両親が方子さんとお話をされたとか、方子さんが遺した書や芸術作品を持っておられる方などからいろんな情報が寄せられてきました。その過程で、いままで明らかにされてこなかった大阪との関わりの情報も届きました。
 戦争中、李殿下が陸軍師団長をされ、大阪におられたことは知っていましたが、今回の公演会場のすぐ近くに家族で住まわれ、御次男が、現在の追手門学院小学校の前身の大阪偕行社附属小学校に通われ、殿下と方子さんが授業参観に行かれた写真も見ました。
 あの激動の時代、大阪では非常に穏やかに過ごされたこと、それが後の人生の原動力になっただろうということや、朝鮮王朝の最後の皇太子でありながら日本陸軍として生きざるを得なかった殿下の苦悩や、さらに分かった殿下の人柄や方子さんの人物像などの踏まえ、音楽と台本をブラッシュアップしました。
 今年は3・1独立運動から100周年ですが、韓国に行って、方子妃の日記も読ませていただくと、最初は"朝鮮の暴動はどんな感じなのかしら"という表現をされていたのが、晩年になると「民衆の蜂起」という書き方に変わっていきました。それをどうやってオペラに表したらいいのかを考えながら大阪公演に取り入れるようにしました。
 大阪は在日コリアンの方も多く、日本の友人たちも韓国の文化を愛してくださる方がたくさんいます。一方でヘイトスピーチなどもある中で、作品を通して日韓関係に何か一石を投じたいと思っています。
――月仙さんが書かれた「海峡のアリア」(小学館)では、ご自身も激動の歴史の中で在日コリアンとしてさまざまな体験をしてこられたことが書かれていますね。
月仙 在日コリアン1世だった両親は、非常に苦労しながら育ててくれました。父の事業が失敗し家族がバラバラになったこともあったし、1959年から始まった帰国事業で、多くの在日コリアンが北朝鮮に渡り、政治的にも思想的にも激しい苦労をしましたが、私の兄もその一人でした。
 私も大変芸術が好きな両親の下で音楽の道を目指しましたが、日本の音楽大学の門を叩いた時は受験資格もなく、願書も受け付けてもらえなかったり、田月仙という本名で活動していくにあたってスムースにいかないところもありました。
 それでも、生まれ育った日本が故郷ですし、両親の祖国は朝鮮半島という中で、険しい歴史であったけれども、お互いに理解して難しい問題を越えていかなければならないという気持ちを強く持ってきました。
 私の代表曲「高麗山河わが愛」は、偶然手に入れたテープの中に入っていたものでした。"南であれ、北であれ、東や西いずこに住もうとみな同じ愛する懐かしい兄弟姉妹ではないか"という内容で、素朴ながらとても訴えるものがありました。アメリカに住むコリアンの方が作られたことが分かり、アメリカ公演の時に訪ねました。世界中でこの歌を歌ってきましたが、在日の方が涙を流される姿を見て音楽の力ってすごいと思いました。ヨーロッパでもその国の歌を一つ歌うと喜んでもらえ、すぐにお互いに親しく、平和の輪が広がります。そういう舞台や文化に携わっていることは本当に幸せです。
 日本と朝鮮半島の歴史認識は両側の考え方やとらえ方が違って当たり前だと思いますが、史実を検証し、過ちがあれば教訓を生かしてお互いに痛みを分け合うことができれば、道が開けると思います。それを解き明かすヒントが、李殿下と李方子妃の物語の中にあると私は感じています。魂の底から声を出して表現しないと成り立たないオペラにして表現することによって、彼らが話すことができなかった、表現できなかった思いをお伝えできればと思います。

「ザ・ラストクィーン」のあらすじ
 1916年夏、15歳になった方子は、日本に留学していた旧大韓帝国の皇太子・李垠と婚約を新聞で知る。政略結婚と言われながらも二人には真実の愛が生まれ結婚。長男の死などの困難に遭いながらも方子は夫を支える。太平洋戦争後、二人は皇族の身分も国籍も全てを失い、戦後20年近くたってようやく韓国に帰った時、夫は病に侵されていた。夫死後も韓国に残った方子は、恵まれない子どもたちのための福祉活動に奔走し、87歳で死去した際、葬列は数キロに及んだ。
 3月10日(日)午後2時・5時、ドーンセンターホール(地下鉄・京阪天満橋駅下車)。S9千円、A7千円、B5千円。問い合わせ先=mail@lastqueen.net

田月仙(チョン・ウォルソン) 東京生まれ。ソプラノ歌手。二期会会員。1983年、デビュー。世界各地で数々のオペラやコンサートに出演し、各地の名門オーケストラとも共演。96年、発掘した歌曲「高麗山河わが愛」が日韓のテレビ番組で紹介され反響を呼ぶ。97年、外国籍芸術家として初の文化庁芸術祭参加。2006年、自身の半生をまとめた著書「海峡のアリア」が小学館ノンフィクション大賞受賞。2013年、日韓文化交流基金金賞受賞、15年、外務大臣表彰受賞。

 

 
 

 

 

賛同のお願い

東京・大阪とも全ての公演が満席となった衝撃の話題作
あなたの町でオペラ「ザ・ラストクイーン」を上演しませんか?

 

 

問い合わせ